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 第10回大会のご報告

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今,求められる言葉の力とは
 今年の特別講座は,アナウンサーの山根基世さんを講師にお迎えしました。山根さんは,NHKを定年退職された後も引き続きアナウンサーとしてご活躍されるいっぽうで,「朗読」を切り口に,地域全体で子どもの言葉を育てるための活動に取り組んでいらっしゃいます。どんなことを考え,どんな取り組みを行っているのか,会場の一人一人に気さくに語りかけるようにお話しになる山根さん。子どもの言葉の力を育むために私たちにできることは何か,立ち止まって考える 豊かな120分間となりました。

講座の流れを紹介します。
“はじめに:自己紹介  
はじめに自己紹介
 今日はようこそこの会場にお越しくださいました。私は,アナウンサーとしてNHKに36年間勤めた後,子どもの言葉を育てる活動に取り組み始めました。教育の世界に入って,10年足らず。まだまだ新参者です。今日は国語の先生が多くいらっしゃると伺いましたので,釈迦に説法のようなこともあるかと思いますけれども,私なりに考えていること,取り組んでいることについてお話しさせていただきたいと思います。


転機となった「ごんぎつね」の朗読会  
転機となった「ごんぎつね」の朗読会
 子どもの言葉を育てるという活動を,初めのうちは子どもに向かって行っていました。けれども,あるとき,子どもだけに向き合っていてもだめなんだ,地域全体で子どもを育てていく仕組みを作っていかなければならないと気づいたんです。地域作りと子どもの言葉を育てる活動をセットにしてやっていかなければならない,と。
 この構想の下,私が仲間たちといっしょに取り組んだのが,2013年に愛知県半田市で行った「みんなでごんぎつねプロジェクト」でした。「ごんぎつね」の作者である新美南吉の生誕100年を記念して,小学生の各学年と20代から70代の大人まで,みんなで「ごんぎつね」を朗読しようというプロジェクトです。朗読のために,半年間,毎月2回ずつ集まり,大人も子どももいっしょになって「ごんぎつね」について勉強しました。
 このプロジェクトは,最後に立派な朗読会が行われ,終了となりました。しかし,その後も,このプロジェクトのメンバーで読み語りの会を開くなどして,大人たちが子どもを見守る関係が続いています。地域で子どもを育てる。そういう場を作ることこそが,私の活動の目的なんです。そのことに改めて気づかせてくれたという意味で,「ごんぎつね」は私にとって転機となった作品です。
「権狐」の朗読  
「権狐」の朗読
 それでは,ここで「権狐」を朗読したいと思います。今日私が読むのは,皆さんがよくご存じの「ごんぎつね」ではなく,「権狐」です。一般に広く知られている「ごんぎつね」は鈴木三重吉の「赤い鳥」に載ったもの。「赤い鳥」は全国に読者がいたため,極端な方言を改めるなど,編集の手が入っています。いっぽう,「権狐」は,新美南吉が18歳のときに自分のノートに書き付けたそのままのもので,「きなく濁った川(=黄色く濁った川)」「はそれ(=大きな鍋)」などの表現や,冒頭の茂助じいさんの描写,最後の終わり方などが「ごんぎつね」と少し違っています。表現者としての18歳の南吉の心を大切にしたいという思いで,今日は「権狐(スパルタノート版)」を朗読させていただきます。
[※朗読していただく。朗読の後,大きな拍手が起こる。]

朗読とは何か
 学校では,「大きな声ではっきり読みなさい。」「間を空けなさい。」「声に表情をつけなさい。」「緩急をつけなさい。」等,朗読の技術指導はしっかりとされますが,その前提となる「朗読とは何か」ということについては,あまり触れることがないようです。私は,ぜひ「朗読とは何か」から始めていただきたいと思います。
 朗読にはさまざまあり,中には自己表現としての朗読もありますが,私たちNHKアナウンサーの朗読は,「作品を,作者の意図を十全に読み取り,その意図を過不足なく表現し,聞いている人の心に届けること」です。あくまでも作者の心や意図が一番。いろいろな朗読があってよいのですが,子どもたちに読み語りをしたり,朗読会で一つの作品を読んだりするときには,作者の心や意図を伝えることを主体に考えるのがよいと思います。そのためには,内容の理解が必要。技術の前に,まず理解。それが大前提だと思うのです。
朗読の「基本のき」  
朗読の「基本のき」
 技術的なことについて,朗読の「基本のき」は二つあります。
 一つは,「正しい発声」。腹式呼吸による正しい発声を身につけることです。肩幅に足を開き,肩の力を抜いて,まず息を吐ききる。次に自然にすっと息を吸って吐くときに,静かに声をのせる。このとき,「息を足の裏から吸うようなイメージで」と話しています。
 もう一つは,「正しいイントネーション」。日本語は,音の高低によって意味が変わります。「これは赤い花です。」というとき,「赤い」を高く言うか,「花」を高く言うかで,伝えたい意味が違ってきます。文章の途中で音を上げたり下げたりすると,そこが強調されてしまうのです。ですから,一つの文章を読むときは,途中でむやみに音を上げ下げせず,高いところからスタートして,なだらかに音を下げていく「への字型」イントネーションで読むのが基本です。
 昔と今では,NHKのアナウンサーの読み方もずいぶん変わってきました。かつて,ある著名な先生の次のような意見が新聞に載ったことがあります。「NHKのアナウンサーは,一語一語の発声はよいが全体のイントネーションがおかしい。だからニュースの内容が視聴者に伝わりにくいのではないか。」これにアナウンス室は大ショックを受け,そこからみんなで研究や研修を重ね,「話すように読む」ということを意識するようになりました。
 このことは,朗読でも大切なことです。ただ,朗読となるとなぜかしゃちこばって妙な節を付けてしまう人が多く,「話すように読む」ことはなかなか難しいようです。そこで,朗読を指導するときには,ICレコーダーで録音しておいた自分の朗読を聞いてもらい,まずイントネーションの違いを聞き分ける耳をつくることから始めています。
子どもの言葉を育てる活動を始めた理由  
子どもの言葉を育てる活動を始めた理由
 私はNHKを退職した後,アナウンサー仲間たちと子どもの言葉を育てようということで「ことばの杜」という活動を始めました。一介のアナウンサーにすぎない私たちがそんなことを始めた理由は,昨今の,子どもによる悲惨な事件が相次ぐ背景の一つに,言葉の力の欠落があると考えたからです。
 言葉の力の欠落とは,一つは,自分の気持ちを言葉で表現できないということ。これは,とてももどかしくて苦しいことですね。心の中にマグマが渦巻くような,溢れんばかりの思いがあるのに言葉にできず,つい手が出てしまう。もう一つは,周りの人とよい関係を築くための言葉をもっていないということ。言葉は鏡のようなもので,「馬鹿。」「うざい。」という言葉しか使わなければ,それが自分に返ってきてしまいます。
 私たちは,NHKアナウンサーということで,日本語の話し言葉の先端を走ってきたといえるかもしれません。36年間で身につけた言葉の力を,定年後,社会還元していきたいという思いもあり,「ことばの杜」を始めました。その活動の核は二つ,「音声言語の育成」と「日常の話し言葉の育成」です。
音声言語がなぜ大切か  
音声言語がなぜ大切か
 「音声言語の育成」ということで,「ことばの杜」では,絵本の読み語りや朗読,活字で記録されてきた日本文学を肉声で記録しようという試み(日本文学アーカイブ)に取り組みました。
 声を出す仕組みは,実はとてもよくできていて,神秘的ですらあります。肺から吸った息を声帯に当てて声にするのですが,人に聞こえる声にするためには,いろいろな筋肉を震わせ,共鳴させるという高い技術が必要です。息を吐くタイミングと,唇と舌が動くタイミングがちゃんと合わなければ明朗な言葉にはなりません。このタイミングを合わせるのは,ロケットを発射台から発射させるよりもずっと難しいことだそうです。そんな難しいことを,人間は全て後天的に学習して獲得するのです。
 ウグイスは,生まれたときには「チッチ」としか鳴けません。周囲の成鳥の声を聞いて学習し,「ホーホケキョ」と上手に鳴けるようになります。人間も同様に,幼い頃から周囲の大人の言葉,その美しいリズムを体に染みこませていくことが,非常に大切です。だから,読み語りや朗読が大切なのです。

日常の話し言葉こそが大切
 学校で教えている話し言葉は,スピーチ,レポート,ディベート,ディスカッションなど,主にパブリックスピーキングの言葉です。これもとても大切ですが,私が今,子どもたちにもっと切実に必要だと思うのは,パブリックよりもむしろプライベートの,日々の暮らしの中で隣の人と心を通わせるための言葉です。例えば,「ありがとう」と「ごめんなさい」。この簡単な言葉を,しかるべきタイミングで,しかるべき表現で伝えることがいかに大切か。
 かつて地域社会が成立していた時代には,赤ん坊からお年寄りまでが一堂に会して,冠婚葬祭,事あるごとに集まっていました。そんなときに,子どもたちは大人の様子を見て,周囲との関係を築く言葉を学んでいました。しかし,今,家庭では核家族化が進み,学校でも先生方が非常にお忙しくなっていらっしゃるという状況の中で,家庭と学校だけでは,豊かな人間力としての言葉を身につけることができなくなっています。家庭と学校だけに任せず,地域全体で子どもを育てる意識をもたなければ,子どもの日常の話し言葉を育てていくことはできないのです。
朗読指導者を育てる  
朗読指導者を育てる
 今,子どもたちのために,地域がもう一度つながらなくてはいけません。そのために私が行っているのが,朗読指導者を養成するという取り組みです。地域をつなぐためには,その核となる人,地域リーダーを育てることが大切だと考え,昨年から「朗読指導者養成講座」を始めました。
 この講座は,先に述べたような朗読の基本を学ぶ場でもありますが,リーダーシップを養う場ともしたいと考えています。講座では,必ずグループで話し合う時間をもちます。そのとき,持ち回りでリーダー役を決め,みんなの意見を聞き取って発表してもらうのです。
 このような活動をしていて改めて感じるのは,グループで学ぶことの力です。一人では出てこないような解釈が,グループで話し合うとたくさん出てくる。世の中にはこんな考え方をする人がいるんだ,という気づきになる。しかも,それがとても楽しいんです。
 「みんなで朗読することがこんなに楽しいとは思わなかった。前の人がどう読むかで,自分の読み方が変わってくる。まるでジャズのセッションをしているみたいだ。」そう話してくれた生徒さんがいました。人によって自分が変わり,自分によって相手が変わる。そんなふうに,お互いに学び合う,いきいきとした場を作ること。これこそが,講座を受けた人が全国に散らばったときに,核となって取り組んでほしいことなのです。
居場所づくりに朗読を  
居場所づくりに朗読を
 今必要なのは,楽しくてまた行きたいと思えるつながり,ぬくもりのある場所を作ることです。そんな場所を作るのに,朗読は有効なのではないかと思います。
 岡 檀さんの『生き心地の良い町』(講談社,2013)という本があります。徳島県海部町は全国でいちばん自殺率が低いそうですが,それがなぜなのかを調べたものです。これによると,海部町に特徴的なのは「いろんな人がいていい。」「隣は隣,うちはうち。」という多様性を認める風土だそうです。逆に考えれば,同化を強いる文化が,人を息苦しくするんですね。
 朗読は,とても自由なものです。「ごんぎつね」がどういう狐か,自分なりに解釈したとおりに自由に朗読することができます。ただ一つの正解はありません。その意味で,朗読は人をつなぐときの手段としてとてもよいと思います。ある文学作品を朗読するためにみんなで話し合うというのは,居場所づくりの素材としてふさわしいのではないでしょうか。
終わりに:どんな子どもを育てたいか  
終わりにどんな子どもを育てたいか
 このような取り組みによってどんな子どもを育てたいのかというと,「自分の気持ちをきちんと言葉で表現できる子」,そして,「相手の言葉を聞いて,その心を理解できる子」です。どんな偉業も,ただ一人では達成することができません。周囲の支えが必要です。そのためには,自分の気持ちをきちんと言葉で表現すること,そして,相手の言葉を聞いて,その心を理解するということが必要です。
 また,言葉を信じる子どもを育てたいと思います。日本では,「どうせ自分が言っても世の中は変わらない。」と始めからあきらめて発信しない人が多いですね。でも,論理的で,しかも心に届く言葉で発言することで,世の中は変えることができるんです。武器や戦争によらなくても,言葉によって世界を変えていくことができる。そんなふうに,言葉を信じる子どもを育てたいと思います。
 さらに,最終的に最も大切なことは,自分の目でものを見,自分の頭で考え,自分の言葉を語る子どもを育てることです。一人一人が自分の言葉を使い,自分の頭で考えるようになったとき,日本はもっとよいふうに変わるんじゃないか,民主主義はもっと成熟するのではないか,そう思います。
 まずは自分の頭で考える子どもを育てることから。そのために,地域全体で,みんなで楽しく,居心地のよい場を作っていきたいと思います。