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 第10回大会のご報告

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アクティブ・ラーニングを意識した授業を考える
 学習指導要領の改訂を控え,アクティブ・ラーニング(以下AL)の視点から学習過程を改善することが求められています。どのように授業を展開すればよいのか,評価をどうするのか,さまざまな試行を繰り返しながら日々模索し続けている先生方も多いことでしょう。
 このシンポジウムでは,国語教育の現状や課題を押さえながら,ALの視点から授業の展開と評価のしかたについて考えていきました。



  高木 基調講演では,文部科学省が発表していることをかいつまんで話しました。このシンポジウムでは,それを踏まえて,それぞれの先生方から,
  1. ALの視点に立った授業とは
  2. 評価の在り方
の二つを柱にお話しいただきます。
1.ALの視点に立った授業とは

子どもの「姿」から「学びの筋」へ  
子どもの「姿」から「学びの筋」へ
鹿毛 まずは,ALについていろいろと議論されている中で,目ざすべき「アクティブ」で「ディープ」な学びとは,ということについて考えていることをお話しいたします。
 授業を見学していると,子どもの姿に感銘を受けることがよくあります。例えば,グループで話し合っているとき,体をひねりながら相手のほうを向いて真剣な視線で話を聞いている子どもがいたり,子どもたちの視線が,話題になっている子どもの書き込みに集まっていたりする姿を目にすることがあります。また,言葉は発していなくても,真剣に取り組んでいる様子が見てとれることもあります。
 このように,何気ない授業の一コマの中にも,アクティブに学習する子どもたちの姿を見ることができるのです。
 ALということが今,盛んに言われていますが,今も昔もいい授業であれば,子どもはアクティブに学んでいるのです。何も新しいことではないと,私は思っています。
図1
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   先ほどの基調講演では,ALは型ではないということが言われましたが,じゃあ,型でなければなんなのか,と言われれば,一つは子どもの内面のことだろうと思います。子どもの内面がアクティブであれば,それは表面に現れる。そういう姿こそ注目しなければなりません。つまり,現在進行形の主体的に学ぶ姿を大事にしていくことが基本です。子どもの内面がアクティブであるということは,学習に集中し,熱中し,夢中になっているということで,それは「いい授業」の背後に表れています。
 つまり,知的側面だけでなくて,情意面も一体化して,わくわくしていたり,前のめりになっていたり,そういう姿自体がALの本質で,型ではなく,このような「現象」と捉えるべきでしょう。(図1)
図2
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   その背景には「思慮深さ(良質な思考)」があります。「もっとよく見てみよう」「あれ,待てよ。こういう考え方もあるんじゃないかな」そういうことが頭の中で起こっています。それと同時に「没頭(学習意欲)」という状況が起きています。「なんだろう」という問いをもって探究しようとしている状態が背景にあるからこそ,アクティブな姿が垣間見れるのではないかと思います。(図2)

図3
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   では,授業の展開をどのように捉えていったらよいでしょうか。
 まずは「姿」を見取ることが大事ですが,「思慮深さ」や「没頭」が重なった瞬間瞬間の姿を重ねていくと「学びの筋」が浮かび上がってきます。つまり質の高い態度形成・習慣化,よりよく考えようとか,もっと疑問点を大事にして調べてみよう,などの繰り返しの中で大きな力が育まれていくのです。(図3)
 ここで問題点として先生方に投げかけたいのは,このような「学びの筋」と,「教師が教えたい筋」が,ほぼずれるということです。それについては後ほど改めて考えていきたいと思います。

「国語科の特質を踏まえた見方・考え方」の具体化へ  
「国語科の特質を踏まえた見方・
考え方」の具体化へ
京野 昨年,中教審が発表した「次期学習指導要領等に向けたこれまでの審議まとめ」で最も重要なポイントは,「国語科の特質を踏まえた見方・考え方を働かせて,思考・判断・表現する」という言葉だと思います。
 次の学習指導要領は,子どもたちが本当に学んだ甲斐があった,ということを実感できるようにしようということが趣旨なのではないでしょうか。その趣旨を実現するためのキーワードが「国語科の特質を踏まえた〜」ではないかと考えました。

図4
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   中学校3年教材の「故郷」で,「ヤンおばさんは悪人か善人か」について話し合うグループ学習を見ました。そこで,ある生徒は,「コンパス」という隠喩表現を根拠に「ヤンおばさんは悪人である」という結論を出しました。これは,実はコンパスそのものの印象からそう捉えた,そのようなものの見方・考え方をしたととらえがちです。しかし,われわれはそれをもっと深く掘り下げて考えなければなりません。コンパスというものではなく,ヤンおばさんの描かれ方,人物設定との関連から好ましくないイメージが生まれたことで,「コンパス=悪人」という論理が生まれたのです。
 しかし,その後,人物相関図の作成などを経て,この生徒の考えが変容していきます。ヤンおばさんが「私」のもとを繰り返し訪れることから,「表面上は憎まれ口をたたいているけれど,本当は『私』の一家が引っ越すことを誰よりも寂しく思い,『さようなら』の言葉が素直に言えずにいる,寂しい人物なのではないか。」と表現するようになりました。これが国語科的なものの見方・考え方の深まりでしょう。(図4)

問いが連鎖する課題設定と互恵的な学びを保障するペア・グループ学習の必要性 図5
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問いが連鎖する課題設定と互恵的な学びを保障するペア・グループ学習の必要性
京野 こうしたことを具体的に解明していくのが大切なのですが,先生方の中には,その方法がよくわからないとおっしゃる方が多いのです。
 まず大事なポイントの一つは,「問いが連鎖する課題設定」をすることです。図5は「わらぐつの中の神様」での事例です。
図6
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   もう一つのポイントは,ペア・グループ学習です。(図6)
 我々が行っている探究型授業は,次の四つのステップを基本としています。
  1. .子どもの問題意識を高め,知識・技能が引き出されるような課題設定
  2. .一人でじっくりと課題について考える場の設定
  3. .考えたことを小集団による学び合いを通してブラッシュアップする機会の保障
  4. .学び合った成果を視覚化して整理するまとめ・振り返りの徹底
 特に三つ目のペア・グループ学習のステップでは,子どもどうしの学び合いを深い学びにつなげる授業者のコーディネート力が問われます。ペアやグループでの活動時間,ゴールの設定,発言や記述に対する教師の対応など,多くの面で配慮と工夫が必要な,重要な指導力の一つです。
 例えば,「大造じいさんとガン」の授業のグループで交流し合う中で,「来年は,大造じいさんはひきょうなやり方をしない。それは,銃も持たず罠も仕掛けず,生身の姿で残雪に向かっていく」と答えた子どもがいました。ほかの子どもは,「大造じいさんの銃や罠は卑怯なんじゃないよ」と一生懸命説得するという授業がありました。担任の先生は,まさかそんな展開になるとは思っていなかったのですが,結局はこのハプニングが深い学びにつながっていったのです。ペアやグループ学習では,分かっていたつもりが分からないという状態を表面化させることができ,能力差を問わず,どの子どもの思考も揺さぶることが,「見方・考え方」がまだ自分には足りていなかったということに気づくきっかけを与えるのです。
 「問いが連鎖する課題設定」と「互恵的な学びを保障するペア・グループ学習」,これがALではないかと考えています。

子どもの学びに寄り添って  
子どもの学びに寄り添って
藤森 子どもの精神的成長は,何度も失敗を重ねながら徐々に,また時には劇的に実現します。日々の授業というのは,「出来事」です。これは何人たりとも予知したり,制御することはできません。我々にできるのは,「影響を与える」ことです。指導という名のもとに子どもを支配するのではなく,子どもの学びに寄り添って,教師としてできる限りの影響を与えることです。もっというなら,教師がその中で最もアクティブな学び手として共に生きることだと思います。

 となると,学習指導とは,「幻の像」なのです。鹿毛先生の「学びの筋のズレ」,京野先生の「ハプニング」といった「予測しえない出来事」が必ず授業の中で起きます。
図7
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   図7の左側が我々が思い描いている授業の姿です。しかし現実の授業は,右側のように教師と子どもと級友の三者が対等関係で関わるコミュニケーションですから,どんなにいい授業をしようとしたとしても,途中で子どもが「あなたの授業はつまらない」と言いだしたら,それで崩壊してしまいます。その中に自分の身を委ねながら,それを振り返って,明日への実践に心をとどめていくというのが我々の生き方でしょう。
 ALを考えた場合,このことが大前提なのです。怖いのは,アクティブの名のもとに,協働性や主体性を標榜しながら,実は子どもに「〜させる」授業になってはいないでしょうか。

学力観の転換を 図8
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学力観の転換を
 そのためには,学力観の転換が必要になります。(図8)
 基本的に,子どもは自ら学びたい,成長したいという潜在欲求をもっています。人間の一生の中で,最も成長するのは0歳から1歳の間といわれています。そのときの爆発的な成長力を何とかとどめながら,年を重ねていくのが我々の生き方なのです。
 そうなると,子どもが自らを変容し続けようとする可能性,それを教師がレベル設定した瞬間に,子どもは教師の能力を超えることができなくなってしまいます。これはALがもっている学力観と背理しています。

 ただ我々は教師ですから,子どもたちの中で学びがどのように展開しているかについて,知っておくことが必要です。
図9
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   人間の成長をちょうど真珠の玉が膨らんでいくような球の形で考えてください。膨らませていく力には,「広げる」「深める」「高める」という三つのものがあります。あらゆる学びはこの三つのうちのいずれかを実現しようとしています。(図9)
【広げる】
  1. 拡散的思考によって知識を拡充する。
  2. さまざまな情感に触れる。
  3. 多様な知識の把握・語彙の充実・分類と比較
【深める】
  1. 収束的思考によって問いの答えを追究する。
  2. ある感情をより深く経験する。
  3. 必要な知識の選択・語彙の洗練・論考と吟味
【高める】
  1. 創造的思考によって新たな知見を発見・発想する。
  2. 新たな情感を経験する。
  3. 新たな知識の発見・語彙の更新・直観と止揚

 気をつけたいのは,目の前の子どもがしている思考と教師がさせたい思考の方向にギャップができてしまうことです。こうなると授業はうまくいきません。子どもの思考に寄り添うことが必要になってきます。

2.ALにおける評価の在り方




  高木 私たちはこれまで,到達目標を立て,それに基づいて評価しようとする授業イメージを作っていますが,今の三人の先生方のお話を伺うと,それが否定されたような感じがしています。では,評価はどうすればいいのでしょうか。

普段の授業の中で,子どもの姿を見とって解釈することこそが「評価」  
普段の授業の中で,子どもの姿を見とって解釈することこそが「評価」
鹿毛 「授業をして,評価する」というように,授業展開と評価の関係を考えることがありますが,そうではないと思います。
 最近の授業を見ていると,最初に教師が「めあて」を板書し,授業があって,最後に「まとめ」をする。しかし,「めあて」というのは本来子どもが立てるもので,先生が立てるものは「ねらい」です。先生の「ねらい」が「めあて」にすり替わっている。そうなると,まさに「〜させる」授業になってしまいます。
 いっぽう「まとめ」では,授業の内容がまとめられるのではなく,最初から先生が決めていることが書かれ,それを子どもがノートに写すといった姿も見られます。授業の形はとても整っていますが,子どもたちはアクティブではないという実態がままあります。これを乗り越えなければ,ALは実現しません。
 ここでの評価とは,「めあて」と称される「ねらい」が達成されているか測るものとなっています。我々は評価を「付ける」という作業だと認識しがちで,このような評価観が骨身にしみています。
 そもそも評価とは,思考の一種だと思っています。実はインフォーマルにやっていることなのです。我々は,普段の授業の中で,子どもたちの学びや姿を見とって解釈している。何か言いたそうな子どもを見つけ,指名して,子どもがいいことを言ったときにはうなずいている。それが評価なんです。評価対象を解釈するという思考なのです。実は授業展開中に評価をしているのです。

まとめ・振り返りは,授業の最後に行うだけとは限らない  
まとめ・振り返りは,授業の最後に行うだけとは限らない
京野 子どもたちが話し合いたがっていることを一瞬の判断で予測し,授業展開に織り込んでいくことが評価であろうと考えています。どういう展開になったかということが授業そのものの評価であり,子どもの評価であり,教師の指導に対する評価でもあるんじゃないかと思います。
 まとめや振り返りに至る前段階でタイムオーバーになる授業,または,教師が一方的にまとめてしまう授業,あるいは,「友達の考えをたくさん聞いてためになりました。」という感想を言わせることに尽力したまとめ・振り返りをする,いわば形骸化した授業を見ることがあります。中には,展開部の学習活動を端折って,とにかくまとめ・振り返りをすることを最優先した授業もありました。

図10
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   しかし,子どもの「見方・考え方」は,課題設定や課題追究の過程に大いに発揮されているのです。結果が残ったことの中からだけ「見方・考え方」を評価するのは,国語が得意な子どもの発言だけで進んでいた昔の授業と同じでしょう。全員の「見方・考え方」を育てたいなら,まだ成果に結び付いていない考え方や活動の中から,未発の可能性を感じる「見方・考え方」を認め,励ますことが,全ての子どもの心に火を灯し,学習活動を豊かなものにするはずです。そして,それらを板書などで可視化することで,授業終末部のまとめ・振り返りは,ほぼ無用のものとなります。指導と評価の一体化とは,まさにこういうことを言っていたのではないでしょうか。

評価観の転換を 図11
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評価観の転換を
藤森 まず「評価」という言葉が曖昧で,テストとか成績付けにつながるようなものは「評定」とか「測定」というべきです。「評価」は,自分の行動がどういう価値があるのかを自ら評することですから,お二人の話にもあったように,アクティブに学んでいく中では学びそのものが評価であるという大前提をとってほしいと思います。
 子どもの振る舞いによって授業はいかようにも変化します。教師が子どもの学びに対してどういう目と愛情で寄り添うか,子どもの考えに驚いたり,まだまだかなと思ったり,などさまざまな感想をもつことが教師がする評価であると思います。
 いうまでもなく,学力の伸長というものは,A問題,B問題で測るべきものではありません。しかし,なぜ学力テストが大事かというと,そこで測定された結果をもとにして,教師が自分自身や学校,地域の実態を把握し,明日の授業に臨むための自己評価につながるからではないかと思います。

グループ学習の評価について 図12
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グループ学習の評価について
藤森 グループとは,図12のように,Aさんの飛び出している部分をBさんの欠けている部分にはめてあげること。それを,学びが始まる前に子どもたちに共通理解させておく必要があります。
 最も大事なのは,この評価観を子どもたち自身に手に入れさせること。教師が子どもの知らないところで評価をつけるのが評価ではないということを,子どもたちに理解させることではないでしょうか。

「評定」をつけなければならない現実について
高木 共通してお話しいただいたのは,授業中に起こる,教師の思い通りにならないハプニングなどを見据えていくと,評価そのもののも固定的なものではなくて,もっと別の観点が生まれてくるのではないかということでした。
 授業がハプニングで動いていくというのは,私自身も教師だったのでよくわかります。そこに柔軟に対応していくことの大切さを皆さん述べられました。
 しかし,一方で「評定」をつけなければならないという現実もあります。評価観の転換と実際の評定との関係をどのようにお考えでしょうか。

藤森 子どもが,自分がどのような位置にいるかを把握する際に,認知的能力と非認知的能力の二つがあります。認知的能力はどの程度成長しているのかをある測定基準に沿って測ることができるものです。非認知的能力は,人間性や,ものの見方・考え方の根っこになるような,対象を見る態度などです。これは一朝一夕に身につくものではありませんし,測定も不可能です。
 このように評定は,ある一定の条件に基づいて出した測定可能な要素によるものだということ,それが測定不可能な要素,つまり人間性などについても及ぶものではないということを子どもたちにも理解させていくことが必要です。

図13
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  京野 図13は読むことの能力を高めるためにどうしたらいいのかについて,教材を分析する観点,思考・判断・表現の方法,教師の言語技術(指導技術)を分類したものです。この三位一体で子どもの能力は高まると考えていました。教科の特質をこのように分析的に見ることも必要です。そして,今,この子はどの組み合わせで考えたのかを明らかにできる教師の資質能力も大切になってきます。

鹿毛 評価というと我々は身構えてしまいますが,要は子どもたちが自分自身の学びや成長を解釈できるかどうかが,子どもたちにとって本当の意味をもつことなのだと思います。ですから我々がやることは,そのための条件を整えてあげることです。自分の学びを振り返って,今後どういう学びを展開していくかを見通していくという思考,そこに評価,つまり教師の解釈があれば,よりよく次を見通していく発想が出てくる。そういう思考を促すような場が評価場面なのです。
 数値にする「評定」は,振り返りのための情報提供としての意味はあるのではないでしょうか。そのような教育的な機能として割り切ればいいのですが,入試の要素として選抜的な機能も入ってくるところに難しさがあるんでしょうね。

高木 鹿毛先生のおっしゃった選抜的機能の課題については,まさに今,高大接続の改革の中でALが取り入れられようとしている意義に大きくかかわってくると思っています。

子どもはすでにアクティブに学ぶ素地がある
藤森 教師には,自分が頑張らなければ子どもがアクティブにならないという思い込みがあるんではないでしょうか。今日いちばん言いたかったのは,子どもたちには,もうすでにアクティブに学ぶ素地ができているということです。それがネガティブにならないように,子どもがのびのび学んでいる姿に寄り添っていくことが大切です。
 そして,他者と交流し,失敗を恐れずに自分の可能性を追究させながら,子どもたちに自信を育てていくこと,これがいちばん重要なことです。

なぜ「資質・能力」なのか
京野 「資質・能力」といわれていますが,単に能力の高さだけでなく,いつどのような場面でどう使うのかということを含めた学力ということをこれから考えていかなければならないと考えています。「資質」と「能力」の双方を育てることを常に意識していないと,技術的な学力ばかりに偏ってしまう恐れがあります。これがALを考えるうえでとても大事なことだと思います。

「悟性」に目を向けていきたい
鹿毛 言葉と言葉の論理に関することを捉える能力「理性」はとても重視されています。しかし最近,「感性」も非常に重視されてきました。言葉にならない非意識的な思考過程,例えば,なんだかよくわからないけど好きだと感じるようなことが見直されています。学校教育などで人間の知性を考えるとき,これまでは理性に偏りがちだったのですが,もっと感性についても目を向けていきたい。
 知性の中には「悟性」というものもあります。これは感性を言葉にする働きをします。つまり理性と感性の橋渡しをするもの。国語はこれが大事なのではないかと思います。

子どもと共に学ぶことがAL  
子どもと共に学ぶことがAL
高木 昔からいい授業といわれているものは,やっぱりALなんですね。そこを今日のお話を聞きながら改めて感じています。
 また,教師の手のひらの上で行っている授業だけでなく,そこに起こるハプニングを乗り越えていくところに本当にアクティブな学びは生まれるのだと思いました。ですから,先生たち自身が,子どもと共に学んでいくという姿勢が必要だと感じています。
 今日は先生方,ありがとうございました。