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 第7回大会のご報告

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国語の授業のあるべき姿
 母語を学ぶ国語科は,日常の言語生活の影響を多く受ける教科であることなどから,各段階で身に付けるべき知識や技能が曖昧になりがちです。また,歴史的に人格形成や道徳観の育成などを背負ってきたこともあり,それらが国語科という教科の在り方を複雑なものにしてきた経緯もあります。では,情報化や国際化が飛躍的に進んだ今日において,国語教育はどうあるべきなのでしょうか。今,改めて「国語の授業のあるべき姿」について,3人の先生方に,それぞれの立場から語っていただきました。
はじめに(田中先生)  
はじめに(田中先生)
 「国語」というのは,一般に小中学校の代表的な教科として存在しているような感覚がありますが,教師の側からは「教えにくい教科」だと言われたり,子どもの側からは「何を勉強したらいいのかよく分からない教科」だと言われたりすることがあるのも事実です。
 今年のシンポジウムは,「国語の授業のあるべき姿」という,たいへん大きなテーマです。とても結論が出そうもありませんが,国語,国語教育とは,いったいどのようなものなのか,今後どうあるべきなのかということについて,貴重なお話をうかがっていきます。
 甲斐先生には,そもそも国語とはどのような教科か,その歴史をひもときながらお話しいただきました。
国語科成立時のミッションとは(甲斐先生)  
国語科成立時のミッションとは(甲斐先生)
 義務教育に国語科ができた明治33年(1900年)以前は,表現媒体が多岐にわたっていて,仮名遣いや字体なども今とは大きく異なっていました。そのため,混乱を招いたり習熟が難しかったりする,という問題がありました。そこで,国語科は,表現形式を易しくし,国民全体のコミュニケーションを易しくすることをミッションとして成立したのです。一方,裏のミッションとしての,日本人としての共通教養を身につけるという側面も見逃せません。
 そこで問題になるのが,表現形式の面,共通教養の面から,今日のわれわれは国語科成立時点のミッションをすべて達成しているのかということです。達成していれば,国語科は解体すべきだという議論になるでしょうし,まだまだということであれば,国語科自体の価値や機能を今後も追究していく必要があることになります。
残る二つの課題(甲斐先生) 画面をクリックすると別ウインドウがひらきます。  
残る二つの課題(甲斐先生)
 コミュニケーションや通じ合いの目的を考えようとしても,実はまだ分からないことが多くあります。表現形式の面で,標準語ができれば,日本国民は全てコミュニケーションができるかというとそうではありません。私たちは,どういう状態に達したらコミュニケーションの成果としての合意に達したと言えるのか,また,そもそもコミュニケーションによって合意に達することが必要か,といったところからまだその合意に達していないのです。また話し合いは,特別活動や社会科など各教科等でも行われますので,国語科固有の目標があるとすればそれは何かを明らかにすることも必要です。
 共通教養という面では,古くは理科・社会の内容,今日では人権・環境・平和・福祉・人間関係など,他教科では扱いえない,けれども意味があるというものを一部受け入れて教科内容として構成してきました。それらは,昭和20年代以降,隠された教科内容であり続けたのです。

 水戸部先生には,学習指導要領を作成された立場から,教育全体における国語科の位置付けという観点を踏まえてお話しいただきました。
今,国語科の役割をとらえ直す意味(水戸部先生)  
今,国語科の役割をとらえ直す意味
(水戸部先生)
 例えば,説明的な文章を学習する際,子どもたちが教科書本文は読み取れても,科学読み物や図鑑をなかなか読めないというのは,問題なのではないでしょうか。どんな目的で,何が知りたくて,どんな図鑑を選ぶのか,その中のどのページを読むのか,そして,得た情報をどう活用するのか,といったことに関わる一連の能力を,具体的な言語活動を通して身に付ける――それが国語科の担うべき役割のイメージとして,たいへん重要なものです。
 わが国は今,さまざまな危機的状況を迎えています。それは,東日本大震災によって顕在化し,加速化したと言われています。未知の事態がさまざまに起こる中で,子どもたちに付けなくてはならない力は,例えば,自ら課題を発見し,解決する力なのだ,ということを考えて,国語科の役割をとらえるということが重要になってくると思います。
さらなる読書活動の充実を(水戸部先生) 画面をクリックすると別ウインドウがひらきます。  
 
 
さらなる読書活動の充実を(水戸部先生)
 第3次「子どもの読書活動の推進に関する基本的な計画」〈平成25年5月17日閣議決定〉では,児童生徒の読書習慣の確立と読書指導の充実が求められています。さまざまな文章や資料を読むことを基盤にして読む能力を固め,国語科を中核として各教科等で読書活動を推進していくのです。
 先日,北海道で発表された実践では,総合的な学習の時間で行う「豆腐づくり」という課題と,国語科の「すがたをかえる大豆」を関連させて読書活動を展開していました。「すがたをかえる大豆」の中で,豆腐づくりに関して書かれていることは何か,そして,書かれていないが必要な情報は何か,どのような資料にあたればいいのか,といったことを明確にしていくという実践でした。このように,教科書教材を基盤にしながら,調べ学習も発展させるという展開が求められています。

 藤川先生には,公立小学校の校長という立場から,現場の実態を踏まえてお話しいただきました。
言語活動についての現場の悩み(藤川先生)  
言語活動についての現場の悩み
(藤川先生)
 現場では今,言語活動を通して指導する,ということを強く意識しています。その中でも悩みを抱えている学校が多くあります。
 一つ目は,例えば,しっかりと読み取ってからでないと音読劇ができないなど,読解の基本技能の習得に力を入れるあまり,授業時数がいつも足りなくなるということ。
 二つ目は,例えば,説明的な文章というと一括りにとらえていつも同じような指導をしてしまうなど,言語活動や文章の様式に基づく教材分析の力が足りないということ。
 三つ目は,例えば,リーフレットを作るという言語活動の中で,引用や要約をどう指導すればいいか分からないなど,単元を貫く言語活動を設定しても,そこに至るまでの小さな言語活動でつまずいてしまっているということ。
 このような現状を,なんとか改善していきたいと考えています。
「大造じいさんとガン」の実践を通して(藤川先生)  
「大造じいさんとガン」の実践を通して
(藤川先生)
 つい先日,5年生の学級を借りて「大造じいさんとガン」の実践をしました。単元を貫く言語活動として,「感動を朗読で伝えよう」を設定したので,導入では,これまで音読をするときにどんなことに気をつけてきたのかを6つの観点でチェックさせました。
 次に,朗読のイメージをもたせるために自作教材でモデルを示し,一つのセリフでも解釈が違えば読み方も変わるということを体験させました。それから,朗読をグループ4人で3分程度に仕上げるということを設定し,感動の中心をどこにもっていくか,どのように解釈しそれをどのように表現するか,といったことを朗読台本に書き込ませます。並行して,声の質などを考えるために,登場人物のプロフィールづくりをしていきました。
 単元の終末では,自分がこの学習を通してどのように変容したかを自覚化できるように,導入で行ったのと同じチェックをさせます。
 以上のような取り組みを通して,この単元で何ができるようになったのか,どのような読み方に変わったのかということを,子どもたち自身に自覚化させることが重要だと考えています。

 ここで,フロアとの質疑応答です。
フロアからの感想  
フロアからの感想
 現場では時間的なゆとりがなく,文学作品を読むとはいかなる行為か,また,付けるべき力の明確化,評価,最適の言語活動などの意識が,なかなか向上していかないという現状があります。子どもたち一人一人の思いや実力に寄り添う実践が,なかなかできない教師もいます。教育現場における土壌が痩せているという実感の中で,シンポジストの先生方のお話をいかに生かしていくかということが,大きな課題だと感じています。
水戸部先生  
水戸部先生
 おっしゃるとおりの課題があって,今は過渡期なのだと思います。学習指導要領が告示されてすぐに授業が変わるかというと,なかなか変わらないものです。過度な負担にならないよう,たとえ時間がかかっても,いろいろなものを少しずつ,皆で共通理解しながら変えていくということが,とても重要だと思います。現状としては,さまざまな実践事例が出てきているので,それらをたくさん共有化していくことが必要なのだと思っています。
フロアからの質問  
 
フロアからの質問
 物や情報があふれ,子どもたちは振り回されています。反面,子どもたちの言葉や心が貧弱になっているとも感じます。言葉の豊かさを育てたい,言語活動を充実させたいと思うと,ある程度読みの深さが必要で,どうしても詳細な読みをさせたくなります。
藤川先生  
藤川先生
 先ほどの「大造じいさんとガン」の例では,朗読を3分間で構成しますので,およそ900〜1000字程度を目安に,朗読場面を設定するよう子どもに示しました。そして,朗読場面の前後にはあらすじを入れて,物語全体を紹介するようにしました。ここで必要になるのが,「要約する力」です。しかしこの単元では「要約」を扱わないので,これまでに培ってきた力を総動員させて,子どもたちに任せることにしました。つまり,付けたい力を確定したら,そうでない部分については思い切って子どもに任せるといったことが必要なのです。
フロアからの質問  
フロアからの質問
  • 読むことや,さまざまな言語活動を通して,自分なりの新しいテキストを生産してくということも大切なことだと思います。そのときの指導のポイントがあれば教えてください。
  • これからの古典授業のあり方とそのポイントを教えてください。
甲斐先生  
甲斐先生
 生産することそのこと自体が目的なのではなく,生産した先に何かをすることが目的なのだと思います。その「何か」をみんなで共有できて初めて,その活動が意味をもつのです。このように,活動の射程を比較的遠くまでもってくる必要があるのではないかと考えています。
水戸部先生  
水戸部先生
 語彙が非常に重要なものになります。そのために読書を国語の授業の中に取り入れていくことが必要です。
 そしてもう一つ,一体どのような力を付けるのかということを十分見極めることが重要です。さらに,設定した言語活動自体を,教師自身がきちんとやってみるということも必要です。自分でやってみることで,確かに力が付くか,活動として高度すぎないか,といったことが判断できます。
田中先生  
田中先生
 古典についても,私たちは,教科書の作品を読んで理解するのが当たり前だと思い込んでいる節があります。しかし,国語教育の目標は,一つには,さまざまな教科の学習をさせる国語の力を付けること,二つ目には,日本の伝統的な言語文化を享受することです。古典の場合は特に二つ目ですので,古典の楽しさが伝わらない授業ではどうしようもありません。つまり,読めればいいのではなく,古典のもつ面白さを味わう,そのように考えると,文語文にこだわらなくてもよいのです。例えば,現代の随筆と古典の随筆を比べて,1000年も前の人と私たちの考え方が同じなんだということ,また逆に,こんなに違うんだということ,この両方を感じさせることが,古典教育の大事なポイントだと思います。

 最後に,これからの国語教育はどうあるべきなのかということについて,3人の先生に語っていただきました。
実践の積み重ねを共有していきたい(水戸部先生)  
実践の積み重ねを共有していきたい
(水戸部先生)
 言語活動が盛んになる一方で,どのような力が付くのか分からない,あるいは,時間ばかりかかるので活動をやめてしまおう,ということに陥りがちな状況があります。そこを改善するためにも,まず,どんな言語活動を位置付けるのか,そしてその言語活動の特徴は何なのか,そしてそれが当該単元の目標にどう結びつくのか,といったことを明らかにして学習指導案に位置付けましょう。
 例えば「海の命」では,命シリーズを読んで読書座談会をするという実践があります。読書座談会の特徴をつかむために,まずは教師自身がやってみること。そうすると,座談会をしながらどんどん読みの精度が高まっていくということや,「海の命」を読むだけでは分からなかったことが,シリーズを読むことで見えてくるといったことが実感できます。
 今,このような実践の積み重ねが全国で起きています。ぜひ,皆さんとこの歩みを共有していきたいと思います。
授業は子どもたち自身のためのもの(藤川先生) 画面をクリックすると別ウインドウがひらきます。  
 
 
 
授業は子どもたち自身のためのもの(藤川先生)  
 
 
授業は子どもたち自身のためのもの
(藤川先生)
 言語活動を取り入れた授業について,図のように8つのステップを考えています。今年赴任した本校でも,アからスタートして,今年度中にはオまでは行きたいと考えています。校長として,このような道筋をしっかりと示していくことが務めだと思っています。
 二つ目には,水戸部先生もおっしゃられたように,読書環境の整備です。前任校では,言語活動の工夫と,図書館利用計画等の読書環境整備とを連動させた研究を推進してきました。
 最後に,授業が子どもたち自身のものになるように,ということを大切にしたいと思います。「大造じいさんとガン」の実践では,一人一人の学びが確かな力に結ばれるように,教師の評価コメントを工夫しました。また,お楽しみも兼ねた振り返りとして,ワークシートをまとめた冊子に裏表紙をつけ,子どもたち自身がこの単元でどんなことができるようになったかを「著者プロフィール」として書くようにしました。子どもたちの朗読の音声は,CDに収録して子どもたちに渡しています。
 このような形で,元気に楽しく,そしてためになる国語の授業に変えていければと願っています。
歴史に学び,視野を広げていく(甲斐先生)  
歴史に学び,視野を広げていく
(甲斐先生)
 日本の国語教科書は,他の国や地域と比べても特徴的です。韓国,台湾,中国にも国語に類する教科がありますが,その教科書の構成を見てみると,日本以外は一つの単元名のもとに複数の作品が位置づけられています。大ざっぱに特徴を言うと,日本以外は単元主義,日本は教材主義,ということが言えます。単元主義の方はねらいが明確であり,作品固有の教材研究はそれほど必要ではありません。それに対して日本の場合は,一つの作品で単元が構成されていますから,この作品で何が教えられるのか,と発想することが一般に多いわけです。
 それが,日本の国語の授業に奥行をもたせてきたと同時に,ある種の閉塞感をもたらせてきたとも言えるかもしれません。現在,単元を貫く言語活動が強調されていますが,教室ごとの創意工夫に任される面がきわめて大きいのが日本の特徴と見てとれます。その工夫の数々は,水戸部先生がおっしゃったように共有していくことが大切ですし,その視野を日本の外にも広げていくことが可能ではないかと思います。
まとめ(田中先生)  
まとめ(田中先生)
 テーマが大きいので,結論を一つにまとめることはできませんが,いくつか分かったことがあります。
 一つは,国語教育がこれから変わるか変わらないか,という視点ではないということです。今,言語活動が学習指導要領の目玉として出ていますが,実は言語活動の趣旨というのは,戦後の学習指導要領にずっと貫いていて,実践は積み重ねられているのです。積み重ねてきた先生にとってみれば,変わらないと言えます。けれども,作品主義で内容を詳細に読み取ることが読解力だと思い込んでいる先生には,少し視点を変えていただく必要があります。国語が果たす役割として,子どもたちに,思考力,判断力,全ての教科の基本になる力を,どのように育てていくのかを意識していかなければなりません。
 また,伝統的な言語文化を味わわせるためには,もっと作品を楽しく読まなければいけないということです。「大造じいさんとガン」もそうですが,これまではその作品のもつ面白さを伝える授業になっていなかったのではないか,という反省があると思います。
 これらのことに立脚して,それぞれの授業改善を図っていかなければいけない,というのが,最後の結論です。ご清聴,ありがとうございました。