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 第6回大会のご報告

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ことばと出会うこと,ことばの学びをデザインするということ
 人はどのようなことばに出会うか,またそれをどのように受け止めるかによって,生き方そのものが大きく左右されます。国語の教科書には子どもに出会わせたいことばが溢れています。しかし,ただそれに触れさせるだけでは十分とは言えません。学び手の文脈,学習環境などを前提に,目標,言語活動,教材等を分析し,ことばの価値を実感させられる授業をデザインしていくことが大切です。本講演は,「ことばと出会うこと,ことばの学びをデザインすること」というテーマでお話しいただきました。
ことばによってつなぐ力
 
 
 
 
ことばによってつなぐ力
 
 
 
 
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ことばによってつなぐ力
 人と人とのつながり,人と世の中とのつながり,そして人と自然とのつながりの中で,私たちはことばを介しながら,自らの生活や人生を形作っていきます。あるいは,そうしたつながりの中で新しいことばと出会い,生活や人生を豊かなものにしていくともいえます。ことばとの出会いは,生活や学習のあらゆる場面にあります。子供たちはいろいろな場で勝手にいろいろなことばを身につけていくわけですが,国語科としては,それを意図的,効果的に実現し,価値あるものにしていくという役目を負っているわけです。それを今回はデザインということばも用いながら考えてみたいと思います。

 私が以前書いた論文の中から,丸山博文と永山則夫という二人の犯罪者のことを紹介しながら,はじめたいと思います。
 丸山博文というのは1980年新宿バス放火事件を起こした犯人です。ちょうど野球の観戦帰りの親子とかが乗っているバスにこの丸山という犯人が,新聞紙にガソリンをつけて,それをバスの中に投げ込んで,かなりの数の方が死傷されたということがありました。
 逮捕されたあと,なぜそういうことをしたのかということが,裁判の中でいろいろ明らかにされていくのですが,この人は,面会した医者などによると,非常に言語抽象能力の低い人だったと。簡単にいうと,ことばを知らない人だったといわれています。ことばがないということは,社会とのつながり,それから自分と世界とのつながり,自然とのつながり,すべてを断っていってしまう。
 ことばというのは非常に重要で,それを僕は「ことばによってつなぐ力」というふうにしてまとめたことがあります。コミュニケーション力とか,そういう力と置き換えてもいいかもしれません。

ことばに立ち止まる力  
 
 
 
 
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ことばに立ち止まる力  
 
 
 
 
ことばに立ち止まる力  
 
 
 
 
 
ことばに立ち止まる力
 一方,永山則夫という人がいます。非常に有名な事件を起こした人ですので,ご存じの方も多いと思いますが,1968年から69年,ちょうど学生運動最後の盛りの時期でした。たまたま神奈川県の座間のキャンプに彼は忍び込んで,手当たり次第に自分のじゃまになるやつを撃ち殺していった。それに脈絡がないものですから,最後は原宿でつかまるのですが,意図の分からない殺人だということで,非常に日本中が恐れました。
 永山は刑務所に入って以降,すごく勉強して最終的に何を言ったかというと,こんな社会が僕のような犯罪者を作った,貧しい僕だからこんなことをしてしまったというような意味付けをしたのです。
 これを思うときに,先ほど丸山の例のときにお話ししましたけども,彼はことばを知らなかったためにいろいろな悲劇の中に,どんどん身を落としていったわけですけれども,永山のように,ことばを知るってことも,逆に,ことばによって自分を見失わせることもあるということです。あるいは,あることばを自分に都合よく使ってしまうことによって,本当の事実を見ようとしない。そういうことが起こり得るわけです。それを考えますと,そのことば一つ一つに立ち止まってよくよく考えてみることも非常に大事だと思います。
 ことばと社会との関係,ことばとことばとの関係,ことばと自分との関係ですね。そう考えますと,これはいわゆる批判的リテラシーとかメディアリテラシーということに通じると思いますし,想像力といわれますが,批判のないところに想像もないと考えますと,想像力の源泉というふうに考えることができるかもしれません。
 それを「ことばに立ち止まる力」と私はよんでみました。

子どもたちには,ことばによってつなぐ力とことばを吟味する力の両面をつけていきたい
 私たちは子供たちに,ことばによってつなぐ力と,そのことばを吟味する力,その両面を持たせないといけない。そういう力を付けていく必要があると思っています。
 私がかかわらせていただいている光村の教科書ですが,中1の教科書に詩人の荒川洋治さんの「初めての詩」という文章があります。国木田独歩の「山林に自由存す」という作品との出会いが,少年の自分にもたらしたものというものをエッセイでまとめています。これは非常に簡単にいうと,ことばが,ある意味で自然をつなぎとめたという経験なのだろうと思います。それまではただの林だったものが,これが独歩の山林だと,こう美しい世界なんだということでことばでつなぎとめた。そういう一つの例かと思います。
 また,中3の教材に,森崎和江さんの「朝焼けの中で」がある。これも素晴らしいエッセイです。森崎さんが八つか九つくらいの小さいときに朝焼けを見た体験を書いている。あまりに美しい朝焼けをある日見てしまった。それをことばにしようと思うのだけれど,なかなかことばにはできない。それを超えてしまっている。その体験がずっと今日まで自分の中に生きているというようなことが書いてあるのですが,これは,ことばに尽くせぬ自然の美しさということだと思います。
 言ってみれば,そのことを通して,ことばとは何か,とか,ことばというものにも限りがあるんだというようなことに気づいていく。先ほどの私の文脈でいうと,「ことばに立ち止まった瞬間」ということもできるかもしれません。

これからの授業作りに求められていること ※画面をクリックすると別ウィンドウがひらきます。  
 
 
 
 
これからの授業作りに求められていること ※画面をクリックすると別ウィンドウがひらきます。
 
これからの授業作りに求められていること
 授業作りで,何度もお話ししてきましたが,学習指導要領の指導事項をなんとなく目標のように掲げていると,焦点も絞れないし,具体性もないという授業になりがちです。
 指導事項をまず分割し,そして,具体化するための道具レベルと書きましたけれども,関心のあることとは一体どういうことだろうということを具体化して,それを分析する。そして,それをいっぱいに詰め込んだ道具箱のようなものをイメージして,子供たちの中に増やしていってあげる。
 一方,言語活動という中にそれを組み込みながら,指導していくわけです。言語活動を通して指導事項を指導するという考え方に沿って,これを意図的に行うことが求められている。教材との組み合わせを考え,充実したことばの力を付ける。そういう授業が求められているということになると思います。

 このようなことが言われ出したのは,知識基盤社会ということが背景にあります。1987年ごろの教育臨調の最終答申の中に出てきたことばが,「思考力,判断力,表現力」と,「変化に対応した力をつける」ということでした。ひたすら世界中で競争する時代だったのです。
 しかし,やはり,あるべき社会とか,未来への視線を持って考えていきたい。価値追随型の思考ではなく,価値創造型の思考をもつことが重要であり,その創造のための武器として,言語活動によって育てられるいろいろな力をつけていかなければならないと思います。
ことばの学びをデザインする  
 
 
 
 
 
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ことばの学びをデザインする  
 
 
 
 
 
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ことばの学びをデザインする  
 
 
 
 
 
 
ことばの学びをデザインする
 デザインとは何かということですが,これは,去年横国大を退官された高橋勝さんという方が,「個々の営みを全体の将来構想の中でイメージ豊かにクリエイティブにとらえ直すときに用いられることばである」と書いています。人間形成の営みを教室や学校空間,地域コミュニティ,多文化が共生する国際社会,地球環境という同心円の中でとらえ直す。これからの未来社会の展望や,設計をも含んだ人間形成全体の見取り図,そんなものをイメージする中で行われるのが教育デザインという考え方であるというようなことを言われています。
 それを踏まえると,私はずっと,「言語活動というのは問い続ける技法である」という言い方をしてきました。こんな図(だからこそ,言語活動は「問い続ける技法』参照)をお示ししたと思います。
 それをことばの学びをデザインするという文脈で考えますと,私たちには,よく言われるように,思考力,判断力,表現力等を育成するために,知識,技能を明確にして,言語活動を充実させるということが求められており,これが今一番授業を行う上で大事なポイントとなっているのです。
 デザインするということについては,個々の授業の中で,大きな視野を持って考えていきたいと思います。例えば,自然や文化ですね。その中にはサブカルチャーのようなものもあるし,メディアも多様にあります。それから,社会や国家という文化等,また,国際関係などいろいろな問題があると思います。そして,縦軸の時間的なことをいえば過去への視点。これは,小学校から古典が入ったということの意味とも重なると思いますが。そして,未来へのまなざしですね。これは個人単位でも社会としても世界的なレベルでもあるだろうと思いますが,そういうまなざしを持ちつつ,私たちは言語活動のことを考えていかないと,ただただ追いまくられて終わってしまうということになるのではないかなと思うわけです。

 「読むこと」と書きましたけれども,例えば新しいライトノベルなんか出ていますが,小学校の高学年の女の子たちが結構読んでいるわけです。それと同時に「大造じいさんとガン」とか「わらぐつの中の神様」とか読むわけですので,ライトノベルを教えろとはいいませんが,この子たちが読んでいるものとこれらとがどうかかわり,接点があるのかないのか,そういう視野も必要なんだろうと思うのです。
 それから,平和教材があります。平和って本当はそう簡単に口にできないものだぞということを踏まえた上で,でも子供には平和のことを考えさせたいと思いますが,そういう視野を大人である私たちは持っているべきだろうと思います。
 これもまた光村で恐縮ですけれども,中2教材の「やさしい日本語」の場合は,外国の方に日本語を伝えるための行動が,結局,自分たちが相手にどう伝えるかという問題に跳ね返ってくるという文脈だったと思います。私たちが普段接している,同質と思われる日本人同士の関係についてもう一度見返すことができるようなことになるかと思います。
 そして,古典教材。日本では歌舞伎や謡曲がありますが,その前の古典をリメイクして,うまくその世界観を使いながら演じられている。実はこの手法は,今はアニメの世界,漫画の世界で繰り返し使われている。そこに日本人独特の,既にあるものをいかに生かして楽しむかという共通した考え方なり手法なりというものがあるというようなことを大塚英二さんという方が「キャラクター小説の作り方」で書いています。
 今子供たちが読んでいる漫画的な手法と,古典とは,やっぱり切れていないというように言えるだろうと思います。

子どもたちにつけたい力が,どう生きたものとなっていくのかを考える時代になった ※画面をクリックすると別ウィンドウがひらきます。  
 
 
 
 
 
子どもたちにつけたい力が,どう生きたものとなっていくのかを考える時代になった  
 
 
 
 
 
子どもたちにつけたい力が,どう生きたものとなっていくのかを考える時代になった  
 
 
 
 
 
 
子どもたちにつけたい力が,どう生きたものとなっていくのかを考える時代になった
 実践を二つ紹介させていただきたいと思います。
 一つは,まさに本の書名として「デザイン力」ということばを使っている杉本直美先生の「自立した読み手が育つ読書生活デザイン力―子どもが変わる読書指導」というものです。読書生活デザイン力とは,今までのあり方を振り返り,現状をとらえ,これからの読書生活を自分の状況に照らしながら組み立てていく力とあります。本は,本好きであることがよい,善であるという地平からいったん離れる必要がある。そういう作業が,今の文化の中で子供たちには必要なのだろうと思われますし,杉本さんが,本の中で,川崎の中学校にいらした時の実践を通して具体的に示されていますので,ぜひ,お読みいただければと思います。
 もう一つは近藤真先生。佐世保の中学校の校長先生です。「中学生のことば授業」という本です。本当に子供と格闘し,時代と格闘した一人の教師の生き方がよく描かれていて,子供の作品もたくさん出ていますので,こちらもぜひお読みいただければと思います。

 いずれにしても,「この力をつけたい」というだけでなくて,「この力はなんの力になるのだろう」ということを問いかけながら行われている実践だと思うのです。これからの未来,社会の中で生きていく子供たちにどうこれは生きたものとなっていくのだろう,そういう視線が私たちにこれからますます求められていくのかなと思います。
 大人あるいは政治家,行政でも,誰もこれからどんな世の中になるか分からないようなところで,だからこそ,みんなが一緒に考えていくことが求められている時代になった。あらためてそういうことを強調していかなければならない時代になっているのではないかと思っています。

 最後になりますが,三田演説館のことです。福澤諭吉が演説会を始めた発祥の地といわれている慶応義塾大学ですけれども,これは明治初期に世界を見据え,未来を見据え,まさに演説という言語活動を始めたということですね。そうしますと,その発祥の地である慶応義塾大学で,私たちがこうやって言語活動のことを考えているというのも,あらためてその未来を見据え,世界を見据え,子供たちの将来のあり方を共に考えていくというその場に本当にふさわしいな,とあらためて思ったところであります。
 どうもありがとうございました。