line decor

 第4回大会のご報告

line decor

国語科における言語活動の授業作り
昨年の基調講演では,「言語活動の充実」が「今なぜ,それが強調されるのか」について,「言語活動」の定義,歴史,社会的背景などを踏まえつつ考えました。今年はそれを引き継ぎ,より具体的に国語科における言語活動の授業作りのポイントについて考えます。「活動あって学びなし」と言われないためには,どうすればよいのか。また,他教科における言語活動と国語科のそれとはどう違うのか。
キーワードは「困難は分割せよ」(井上ひさし「握手」光村・中3)とあなたの想像力です。
新学習指導要領 改訂の柱は「言語活動の充実」

新学習指導要領 改訂の柱は「言語活動の充実」
※画面をクリックすると別ウィンドウがひらきます。
 
新学習指導要領
改訂の柱は「言語活動の充実」
PISA,TIMSS,教育課程実施状況調査,全国学力・学習状況調査などを通してみたときに,「思考力,判断力,表現力等」を問われるような問題の解答率が低いということがありました。そこで,国語科を中心として,これらの力の育成のために言語活動の充実をはかっていきたい,ということが改訂の柱になりました。
学力調査のことを申し上げましたが,秋田県が自分の県の成績について分析した報告書というのを秋田大学の阿部昇先生から送っていただきました。質問紙調査では,いろいろと興味深い数字が出ています。「家で食事をするとき,テレビを見ないようにしてますか」という質問は全国平均を若干下回っている,つまり「見ている」ということなんですが,逆に,「家で学校の授業を復習していますか」というのが全国平均を34.4ポイントも上回っています。また,本日のテーマに関連したところで見ますと,小学校の事例で,「国語の授業で二つ以上の資料や文章を比べて読んだり調べたりしていますか」「国語の授業で資料を読み,自分の考えを話したり書いたりしていますか」などが10ポイント以上上回っています。中学校でも同様の傾向があり,「国語の授業では,自分の思いや考えを書くことが多いですか」が10ポイント以上,「国語の授業では,友達と話し合ったり意見を交換したりする場面が多いですか」というのは20ポイント近く上回っています。つまり,こういう「言語活動」をしていることが,一つの成果となって表れているというふうにいえるのかもしれません。
21世紀は,知識の獲得競争が世界的なレベルで行われている「知識基盤社会」であるといわれます。その中で,「思考力,判断力,表現力等」の育成のためには,言語活動の充実が必要であると中教審でいわれたり,学校教育法の第30条に明記されたりしているのです。
国語科における言語活動の役割
※画面をクリックすると別ウィンドウがひらきます。

国語科における言語活動の役割
 
国語科における言語活動の役割
真ん中の楕円が言語活動であり,それを成立させるために必要な知識や技能(技術),能力といったものがあるという図です。例えば,「人前で話をする」という活動を行うときに,適切な状況・場を設定し,効果的な話題や題材を組み込む。それが機能すると活動が子どもたちの生きた経験となり,態度形成につながっていく。そのためには活動の中身を充実させることが必要で,この中身の指導が国語科の役割であると思います。学習指導要領でいうなら,活動が「言語活動例」であり,中身が「指導事項」にあたります。そこを忘れてしまうとただ活動しているだけということにもなりかねません。
指導事項は分割せよ

指導事項は分割せよ
※画面をクリックすると別ウィンドウがひらきます。
 
指導事項は分割せよ
「握手」(光村・中3)という作品の中に「困難は分割せよ」というセリフが出てきます。問題は細かく割って,一つ一つ片づけていく,という内容なのですが,指導事項を分割してみるのも一つの考え方と思っています。それから「ゼブラ」(光村・中2)の中に出てくる「それと想像力も」というセリフ。これらをキーワードに述べていきます。
指導事項は,一つの事項にいろいろな要素が入っています。例えば小学校3・4年の「書くこと」ですと「ア 関心のあることなどから話題を決め,必要な事柄について調べ,要点をメモすること」があります。これを分割して考えてみる。3・4年にとって「関心のあること」とは,「必要な事柄」とは,「要点をメモする」とはどういうことだろう,というように分けてみるとポイントがはっきり見えてきます。
次に指導事項の内容を「想像力をもって」分析してみます。「関心のあること」なら,例えば,学校や校庭での出来事や登下校中のこと。「話題を決める」決め方も必要性からなのか相手意識からなのかによって違ってくるでしょう。
指導事項の技能レベルのものを分割し,道具レベルに具体化する,つまり,どんな手段を使って活動していくか,ここで教えたいことはなんなのかをイメージして授業の設計をしていくことがポイントです。言い換えると,「ツールボックス」と書きましたが,教師が指導事項の向こう側に道具レベルの一覧を想定できることが大事で,これを具体的にして指導することで,子どももその道具を分析し,選択していく力が養われていくことにつながるのだと思います。
指導事項は分割せよ
※画面をクリックすると別ウィンドウがひらきます。
  私は,都立高校の教師をしており,サッカー部の顧問だったことがあります。
言語活動をサッカーに例えるとわかりやすいかと思います。図の真ん中の知識・技能にあたる部分を練習で磨く,それを実戦・ゲームで使う。そのとき,適当な相手や場所・場面が用意され,そこでいい経験をすると中身が充実し,精神的にも高められ,「もっとサッカーをやりたい」という気持ちになっていくのだと思います。

(サッカー部顧問時代のエビソードをもとに語られました。)
あらためて,何のための言語活動なのか?〜問い続ける技法
 
 
 
あらためて,何のための言語活動なのか?〜問い続ける技法
 
 
 
あらためて,何のための言語活動なのか?〜問い続ける技法
 
あらためて,何のための言語活動なのか?〜問い続ける技法
知識基盤社会といわれていますが,それはどういう社会なのでしょう。評論家の東浩紀氏は,1990年代末になると「他者を媒介にする欲望ではなく,動物なみにただ欲求に従う」人々が生まれてきていると言います。書名にもなっている「『動物化』するポストモダン」といのがそれです。ネットで注文すれば翌日本が届くというような,すぐに欲求が満たされてしまう状況下における人間の在り方です。そんな中,哲学者の西研氏は「先生も生徒も『なぜ勉強するのか』がわからなくなってしまっている」と言い,同じく竹田青嗣氏は「勉強するのは『生き方の自由』を選ぶため」だったが現代社会は「何が『自由』なのか,どこに生きる意味があるのかわからな」くなっているといっています。また教育学者の苅谷剛彦氏は,90年代以降,社会の一単位としての「個人」と「自己」が分節化されないまま来てしまっているのではないか,社会を担うという意識が子どもだけでなく,多くの人たちになくなってきてしまっているのではないかと指摘しています。

そんななかで,では言語活動は何のためにあるのか,と考えるときいちばん説明しやすいのは学習指導要領中学3年の「読むこと」にも「書くこと」にも出てくる「批評」だろうと私は思います。先の西氏は,教育に批評の方法を持ち込みたいとして次のように言います。例えば,音楽や小説に感動し,それを手がかりにすることで,自分はこういうものをいいと思っていたとか,嫌いだったとかということが見えてくる。そんなふうに,これまで無自覚だったことを自覚的に取り出すのが批評という活動だと。すなわち指導要領に出てくるから「批評」を教えるのではなく,学ぶ価値があるから指導する,そんなふうに考えてご指導いただきたいと思います。 そう考えますと,言語活動というのは,このような先の見えない知識基盤社会において,自分はどうあるべきか,社会はどうあるべきか,ということを問い続ける技法といってもいいのではないかと私は思っております。
言葉によって世界をつなぎとめ,自分を振り返り,つなぎとめる言葉に立ち止まる。そのことを通して,世界と自分を鍛え直し,作り変えていく。そういう創造的な営みのための一種の武器として言語活動を位置づけることができないだろうかと思っているのです。
言葉を通して問い続けるために
 
 
言葉を通して問い続けるために
 
言葉を通して問い続けるために
詩人田村隆一に「帰途」という有名な詩があります。一部だけご紹介します。

言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか
        ………(中略)………
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる

「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」といっていますが,言葉を覚えたからこそ,いろいろな悲しみとか辛さとかに私たちは立ち止まるわけです。もし,言葉を覚えなかったら世の中に何もない,社会もない,自分もない,人もない,ということになってしまいます。
言葉があるから,私や家族や個人や社会が成り立っている。そう考えますと,言葉を通して自分や個人や社会を問い続けるために,またそういうことができる人格を育てるために「言語活動」が重要になるのだろうと思います。ただ学習指導要領に入ったからということだけではなく,ぜひ,子どもたちの生きる力,そして問い続ける力を育てるためのものであるととらえていただきたいと思います。