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 第3回大会のご報告

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まとめの言葉/目標としての言語活動・手段としての言語活動
言語活動を充実させるにあたって,私たちは何を本来の目的と考え,どのような心構えで臨めばよいのでしょうか。
レポートの作成,古典の音読・暗唱,読書紹介,詩の創作等,ワークショップでも多様な言語活動が展開されましたが,こういった言語活動の経験を,先人の言葉を手がかりとして意味づけながら,この問いについて考察します。
「交流を通じた自己開発」(大村はま)  
「交流を通じた自己開発」(大村はま)
かつて,大村はまという偉大な教師がいました。彼女は,「話し合うこと」の指導において,「人と話し合って生きていこうとする子供像」を理想としてもっていました。彼女が目指したのは,交流を通じて自己開発が行われる瞬間を,子供達に経験させることです。交流を通じた自己開発の瞬間とは,いろいろな問題について話し合っている時に,相手から何かを得るというだけでなく,自分がひとりで考えていたときとは全く違った,新しい考えがふっとわいてくる,そんな瞬間のことです。
このような経験を一度でもした人は,決して話し合いをおろそかにすることはない。逆に,そのような経験をしたことのない生徒にいくら話し合いの大切さを説いても,彼らが話し合いに本当に積極的に取り組むことは難しいだろう。彼女はこのように言っています。つまり,話し合いを通じて自分自身が開発されたという経験をもつことが,何よりも大切だと考えていたのです。
「飛び火によって点ぜられた燈火」(プラトン)  
「飛び火によって点ぜられた燈火」
(プラトン)
さて,今から約2,300年前に生きた,プラトンという偉大な哲学者がいます。プラトンは,哲学の第一義について,次のように考えていました。 「それ(哲学の第一義)は,他の学問のようには言葉では語り得ないものであって,むしろ生活を共にしながら,その問題の事柄を直接に取り上げて,数多く話し合いを重ねていくうちに,そこから突如として,いわば飛び火によって点ぜられた燈火のように魂のうちに生じ,以後は生じたそれ自体がそれ自体を養い育ててゆくという,そういう性質のものである。」
手段としての言語活動,その目指すべきところ  
手段としての言語活動,
その目指すべきところ
プラトンが言うところの,哲学的な思索は他人にどれだけ邪魔をされても中断されない活動であるということは,大村氏の言うところの,自己開発の瞬間を経験した人はずっと話し合いを大切にし続けるということと同じではないでしょうか。腹蔵なく話し合いを続けるということは,非常に大切なのです。そのような文脈で考えると,言語活動は,自己開発の瞬間を経験するため,魂に燈火が点じられるための手段であると言えます。
もちろん,話し合いを通じて自己開発が行われるという経験は,教師が予めカリキュラムとして用意することはできません。しかし,カリキュラムをないがしろにしていては,その瞬間は訪れようがありません。一人一人の子供にその瞬間がいつ訪れるかはわからないけれど,いつか訪れることができるようにカリキュラムを用意する。そのような心構えが,私たち教師には求められています。 本日のワークショップは,そのような心構えをもって良質なカリキュラムを用意するために,非常に有益なヒントになったのではないでしょうか。また,本日のワークショップ等の中で,皆さん自身が腹蔵なく話し合い,話し合いを通じて共同体としての意識,一体感を共有できたことも,大きなヒントになると思います。

皆さんとそのような経験を分かち合えたことを感謝しつつ,これをまとめの言葉とさせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。